理屈で考えた事は、危ないのだけれど [人間雑感]
理屈で考えたことは危ないと、常々思っているのですが、いつも理屈で書いてしまう。
理屈でなく、良し悪しを判断し、言葉で説明できる能力と、理屈で説明できる能力を平行して持ち合している人は、居るのであろうか。
論議の場では、理屈に達者な人しか、相手にされない。
もし、討論番組で、理屈を駆使しないで、良し悪しを表明しても、鼻も引っ掛けられないだろう。
ドストエフスキーの罪と罰は、殺人を正義とした小説があるが、ビンラディンのニューヨーク貿易センターの事件、ブッシュ大統領のイラク攻撃等も同類に思う。
小説だけのバカな話ではないのだ。
先日の国会で、新人女性議員が切れ味鋭い論議を展開したそうだが、個人的には女性議員には、理屈でない良し悪しの判断をしていただき、日本を間違った方向に行かないように期待していたので、残念でならない。
どこの家庭にも、一人は理屈でない判断に秀でた人(女房殿)がいると思うのですが、社会となると無理なのだろうか。
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