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日本人も性悪説で(その5) [人間雑感]

 統計学用語で品質のバラツキ管理で、良く3シグマと言う標準偏差が使われるが、人間社会でも、ちょうど3シグマが、「目立って良い人」「一般的な人」「目立って悪い人」にあてはまるように思う。
 3シグマは、「目立って良い人」と「目立って悪い人」が1000人に3人(0.3%)になる。
 目立って悪いといっても、犯罪者と言う意味ではないし、この率が適当ではないかもしれないが、ある程度の確率で困った人が、過去も将来もいると思った方が良いと思う。

 この率に従えば、1000人中997人は、困った存在ではない。

 別の面では、新しいタイプの犯罪行為・犯罪類似行為及び非倫理的行為/状況以降は犯罪又は犯行に対する、抑止力・免疫確立までのタイムラグの問題が有ると思う。
 個人個人がそれらのことに対する十分な知識を得、撃退の方法を身につけるには、ある程度の時間が掛かってしまう。
 また、これに対する法律が作られるまでに、これまた相当な時間が掛かってしまう。
 この間に、犯行が集中してしまう。
 これにより、社会が悪くなったと感じてしまう。

 凶悪度・悪質度・悪意の程度が低かったものが、エスカレートしてくる問題は、人間の思考回路の特性上避けられないのではないだろうか。
 しかし、ある程度、問題が大きくなることで、法による是正の対象になり、リセットされるので、致命的な問題ではないと思う。

 たしかに、良くも悪くも過去にあった、しつけ、けじめ、心、宗教、倫理等の教育が、今の日本には社会システムで上では少なくなっているかもしれない。

 しかし、前回の分類で考えるに、過去の新しい犯罪が定着してしまい、従来型の犯罪になってしまったというものは、殆ど無いと言えるのではないだろうか。

 このように考えると、新しいものが次から次へと絶え間なく世の中に提供され、犯罪は多発しているが、社会変化の激しい中では、日本人が悪くなったというより、犯罪防止が間に合わない状況になったと言ったほうが良いのではないか。

 今までのような社会構成及び構造であれば、犯罪者にとって日本は依然として住み良い社会ではなく、何代にも亘って、その行動パターンを受け継ぐようなことはありえず、「若気の至り(若くない人も居るが)」であったと反省するケースが殆どのように思う。

 だらだらと長く、まわりくどくなったが、まだまだ日本人は性善説が通用すると、言ってよいと思う。
 まだ捨てたものでもない。

 しかし、多くの日本人はこの状態に満足していない。


次回は間違いなく最終回
平均・分散・標準偏差―Point統計学  


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