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日本人も性悪説で(その3) [人間雑感]

 過去の権力者(施政者)は、社会の安定のために、仏教の力に期待した時期も有ったが、信長の比叡山の焼き討ち以降は、仏教への期待は積極的にはされていない。

 その後、連座制により共同責任を取らせることことにより、治安維持が図る時代があった。
 この時代では、責任を負わされるグループ員に問題を起こされることは困るわけだから、家族はもとより他人といえども、問題発生を防止するため、倫理教育をせざる得なかったはずである。
 強権的政治体制、厳罰社会、プライバシー無視(軽視)無しの時代あったから出来た、システムで今の日本にはありえない過去のシステムとなった。

 そして、大東亜戦争の反省から、国による思想教育が排除され、修身と言う道徳教育が廃止されていた時期があった。
 現在の日本の現状を考えるとき、この判断が今なお尾を引いているように思う。
 これにより、道徳教育に一種の日陰者的印象を、国民に植え付けてしまったように思う。
 この種の教育が、間違った愛国心をあおりかねない等の心配を、最近の歴史教科書の検定等で、国民が強く感じとってしまっている可能性があることも不幸なことである。

 全体主義が排除され、学校での道徳教育が遠ざけられた時代に育った世代は、親からの教育が主体になったが、今の結果を見ると、必ずしもこれが旨くいかなかった言わざるを得ない。


今回も纏められませんでした。
次回、終了するかなと思います。
精撰尋常小学修身書―明治・大正・昭和…親子で読みたい 


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コメント 6

>信長の比叡山の焼き討ち以降は、仏教への期待は積極的にはされていない。

島原・天草一揆の後、キリスト教対策として、寺請け制度が実施されています。
また、近年の研究により、信長も安土城に仏像や仏間を配置していたことがわかっています。

共同責任~の部分は、室町時代の惣という自治組織の発展を考慮しないと
全体像が見えないのではないでしょうか。
by (2005-10-04 12:35) 

イエローラブ

NTHAWKS さん、コメント有難う御座います。
ご指摘有難う御座いました。
精密さに問題が有りそうですので、記事継続はもう少し勉強うをしてからにしようかと思います。
by イエローラブ (2005-10-04 16:31) 

イエローラブ

惣(村)とは、南北朝・室町時代に農民らが守護などからの不当な要求に対抗するため、自治的な農村としてを形成したものとの事ですから、形成の目的は違うようですが、NTHAWKS さんが仰るように、内部の治安維持のための、倫理の形成と、監視は行われていたのは、間違いないと思います。
by イエローラブ (2005-10-05 10:50) 

イエローラブ

寺請制度を調べてみました。
江戸時代にキリスト教や日蓮宗不受不施派(法華経の信者以外からの施しを受け ず、また他宗の者には施しをしないという教義を持った派)が禁制となり、これを 徹底させるため、領民を寺の檀家にして、寺にキリスト教や不受不施派でないこと を証明させる制度とのこと。
目的は、権力維持のための宗教弾圧のようですが、治安維持のためですから、大きくは、倫理の形成を目指したともいえるかもしれません。
しかし、領民を全て檀家とするわけですから、一見仏教保護政策とも思えますが、他宗派の寺の檀家への布教、新たな寺 の建立が禁止され、布教活動が著しく制限されたとのことですから、この制度は限られた範囲の期待であったと思われます。
by イエローラブ (2005-10-05 11:39) 

イエローラブ

信長の仏教信仰について。
一般に当時の戦国武将がもっとも信仰を寄せた宗派は、人間の無限の可能性を肯定し、大悟徹底すれば、迷わずひるまず動じない境地を獲得できると説く、禅宗であり、信長もまったく無信仰の徒ではなく、宗教に心を通わせ、若いころは禅僧沢彦宗恩に師事して人格の練磨につとめていたそうだ。
信長の仏教への期待は、武将としての自分のためのもののように思える。
叡山の焼き討ちは、敵の浅井・朝倉への援助に業を煮やし、「地位に甘んじ、仏道の修行をおろそかにし、戒を破り、淫行を好み、生臭い魚や肉を食べ、物欲にまみれている」として、行ったわけで、当時の叡山には、何の期待も持っていない事が示されているように思う。
by イエローラブ (2005-10-05 12:06) 

比叡山延暦寺は、平安末期より一大勢力として政治にたびたび干渉してきました。天下三不如意として白河院が嘆いたと言われる。
室町期にも一大勢力として残り、信長と対峙した。
いわゆる守旧派勢力の巨大なものであった。
信長の焼き討ちは、宗教云々よりも、守旧派の一掃という意味があったと考えられる。
by (2005-10-10 01:54) 

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